こんにちは
さわです!
今回本ブログはじめての書評になります。
できるかぎり質のよい書評を目指すのでどうぞよろしくです♪
 | 後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫) (1976/01) 内村 鑑三
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【1、面白さ】・・・B
【2、読みやすさ】・・・B
【3、話の深さ】・・・A
【4、感化力】・・・A
【5、おススメ度】・・・A
【+長さ】・・・F(点数にはなりません)
46/50(
評価基準はこちらから)
「歴史から学ぶ者」が賢いといいます。
果たして何人が歴史から学んでいるのだろう?
学びには自分の経験がすべてで、結局経験主義に陥っている人を僕はたくさん知ってる。
過去の人物の遺していったコト・モノ・シソウ・イキカタ。
そんなものから学び、活かし、進化させ、後世へ続く遺物を遺していくこと。
そんな生涯を遺していくこと。
そうやって生きながら、周りに貢献することで自分も周りも幸せになる。
これがぼくらの務めであり、生きる意味なんじゃないか。
「夜と霧」の著者V.E.フランクルは言いました。
『わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ』
一般論で生きるとは何かを論ずることはできないのかもしれません。
しかし、上記のように生きることは生きることが私たちに期待していることの一つなのだろうと思う。
こんな風に感じた。
どうして今まで古典を触ってこなかったのか・・・。
本気で後悔する。
でも、これからどんどん触っていこう。
そう思ってます。
内村鑑三は言います。
「この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に往き、私の予備学校を卒業して天国なる大学校にはいってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。ドウゾ私は死んでからただに天国に行くばかりでなく、私はここに一つの何かを残して往きたい。それで必ずしも後世の人が私をほめたってくれいというのではない、私の名誉を遺したいというのではない、ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。」と。
そして、
天文学者のハーシェルの言葉を引用します。
「この世の中を、私が死ぬときは、わたしの生まれときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」
そしてその遺物について触れ、
第一に大切なものとして『金』をあげます。
己の子供に遺して逝くばかりではなく、社会に残して逝く。
そうすることで誰かが代わりに何かやってくれるかもしれない。
誰かが自分の遺したお金で何かをやってくれたのならば、それは間接的に自分も関与したことになる。
そして金は誰にでも遺せるモノだとは限らない。
そこで金よりも良い遺産を考えるとそれは『事業』だと。
しかし、金も事業も遺せないかもしれません。
金を集める天才も、使う天才もないかもしれません。
それをできない人はどうすればよいのか?
そこで第三に『思想』をあげます。
思想を遺すとは、著述をすること。または学生を教えるということ。
文学とはわれわれの心に常に抱いている思想を後世に伝える道具だと。
したがって恋だとかいうものしか伝えていなくて、男をなよなよせしめた源氏物語は文学ではない。
根こそぎに絶やしてやりたい! だそうです(笑)
ちょっと笑えた。
定義的には正しいけど結構極端だなって思いました・・・。
文学というと流暢なものを想像してしまうかもしれないが、心のありのままをかくものであると。
だから文学は誰にでもできる!
教育を遺すとはただたんに自分が学問を知っていて、大学で教員免許を手に入れたから教師になって教育を残すことができるというわけではない。
そんな考えは最低だ。と。
先生になる人は学問ができるよりも、学問を青年に伝えられる人間でなければいけないんだ。と。
ホントそう思います。
学校の先生でも伝えられる人は一握り。
それは予備校でも然り。
安定だけを求めて教師になるような人間を僕は決して認めたくない。
教育はものすごく大事なことです。
たいていの教師は
高校→大学→高校or義務教育課程
っていうルートをたどるわけです。
つまり学校って言う世界しかしらない。
そんな人が社会にでたら・・・云々言うわけです。
俺はそんなの信用できません。
学校の教師にも学校以外の世界を見てもらいたいもんです。
内村鑑三は文学者にもなれず学校の教師にもなれなかったとしたらもう自分には何も遺せないのか?こんな意見の人もいるだろうと続けます。
そして最後に誰にでも遺すことのできる最大の遺物として、
「勇ましい高尚なる生涯」
をあげます。
どんなにすばらしい事業を遺そうと、思想を遺そうと、金を遺そうと、その人の高尚なる生涯には勝てない。
そして種々の反対に打ち勝つことがわれわれの生涯なんだ。
そう書きます。
どうでしょうか?
一見何の意味もなさそうな自分の生涯にも意味はあり、誰にだって何かを遺していけるのだ。
僕はそう思う。
付録でデンマルク国の話ってのもついてるので是非読んでいただきたいです。
全部で100Pくらいなので1日で読めます。
さわ